2021年12月19日から年をまたいで1月9日まで開催された『FUJI TEXTILE WEEK2021』。

下吉田の街に点在する空き家となった建物やギャラリーを会場に、テキスタイルを素材としたアート作品を展示するイベントだ。世界的に活躍するアーティスト作品の出展のほか、会期初日から3日間は参加アーティストによるトークイベントなども開かれ、来場者は地図を片手に通りを行き交いながら思い思いに作品を鑑賞した。折しも冬は富士山もくっきりと望める季節。訪れた人たちは、街並みとアートと富士山が織りなす不思議な光景を楽しんだはずだ。

SARUYA HOSTELの代表八木毅はこの企画の発起人であり、SARUYA HOSTELも拠点の一部となったのだが、好評のうちに終了したこのイベントはどのように生まれ、これからどのように街や宿の未来に繋がるのか…。当日の様子とともにお伝えしたい。

《トキノカゲ》大巻伸嗣  撮影:吉田周平 提供:FUJI TEXTILE WEEK実行委員会

はじまりはコロナウィルスで気がついた問い

FUJI TEXTILE WEEK開催のきっかけは2020年春、日本にも新型コロナウィルスが本格的に蔓延しはじめ、例年なら都内で開かれる大規模なテキスタイルの展示会が中止となったことだった。SARUYAもデザイン面などで出展をサポートしていたため、当初はPRの機会がなくなったことに困惑していたものの、あらためて考えてみると、従来のやり方に課題がなかったわけではないこともわかってきた。

たしかに都市部で行われる大規模な展示会は、多くの業者やバイヤーが一同に集まり、効率よく商談ができるメリットは大きい。ただ、無機質な会場の中ではいくら展示方法などを工夫したとしても、その商品が生まれた背景にあるものや商品のもつ空気までを伝え切れないもどかしさもあったのだ。

ーーーならば、展示会を「産地」で開催したらどうだろう?

山梨県は都内に比べればウィルス感染が限定的だっただけでなく、商品が生まれた街の情景の中で商品を見てもらうことができる。バイヤー側にわざわざ足を運んでもらう難しさはあるものの、無機質な会場よりもはるかに正確に多くの魅力を伝えることができるのではないか。

そんな思いつきから始まった計画は、2021年になってさらに各方面からの協力を得て今回のアートイベントとの同時開催へと結実した。アートイベントのフォーマットの中でテキスタイルを紹介することで、商品としてのテキスタイルだけでなく、テキスタイルのもつアートとしての側面も浮かび上がらせることができるかもしれないと考えたからだ。

撮影:吉田周平 提供:FUJI TEXTILE WEEK実行委員会

イタリアのミラノサローネに代表されるように、その国や地域の「産業」と「アート」が近い文脈で扱われている事例はいくつかある。富士吉田で生み出されるテキスタイルも、単に依頼された通りにつくる工場製品ではなく、ハタヤさん自身の歴史や個性の表現であってほしいし人々に刺激を与えるアート作品にもなり得ることを知ってほしい。FUJI TEXTILE WEEKには、参加しているハタヤさんに対するそんなメッセージも込められている。

実際に会期中に開催された展示会では、これまでなら生地サンプルを網羅的に並べるところを、点数を絞り素材や要素を見せることにこだわった。これまでにない展示方法に苦心しつつも、いつもと違った視点で見る自社商品にあらためて新しい発見をしたのではないだろうか。また、Watanabe TextileのTatsuyasu Watanabeや宮下織物は、参加アーティストのひとりとしても、これまで手がけたテキスタイルや衣装を展示した。手応えは上々で、訪れたアートやデザイン関係者からの評価が高く、あるひとつの作品を見るためだけに都内から訪れたというデザイナーはその作品の前でしばらく感嘆のため息をもらしていた。

産地の記憶を呼び起こすアーカイヴ展

会場の一画には、かつてこの街で織られたれた生地のアーカイヴも展示され、そこには今はおそらくもう存在しないハタヤさんの会社名も記載されていた。富士吉田にはかつて6000社もの繊維関連業者が存在していたと言われ、人口の大部分がなんらかの形で繊維業に関わっていたはずだが、現在は約200社に減少。それでも、地元の人たちが展示会場で懐かしそうに「これは私が織った」など誇らしく話す姿を見ると、いかに織物がこの街のアイデンティティとして根付いているのかと思う。

この街に生まれ育った人たちからすれば、街に響く織機の音も商店街の先に鎮座する富士山も日常の光景。でも、その街の景観と街の産業であるテキスタイルとを同時に俯瞰的に見ることは少なかったはずだ。イベントを通して、また、わざわざテキスタイルを見に遠方から足を運ぶ人たちの姿を通して、見慣れた景色も違った色に見えてきたのではないだろうか。だとすると、FUJI TEXTILE WEEKは、街の人から見た地元の印象にも多少なりとも変化をもたらしたかもしれない。

《INTER-WORLD/SPHERE》奥中章人 撮影:吉田周平 提供:FUJI TEXTILE WEEK実行委員会

私自身も2回ほどゆっくりと会場をまわってみたが、数十年前に織られたテキスタイルの鮮やかさと斬新さ、今まさに活躍するハタヤさんのバリエーションと技術力にあらためて驚いたし、なにより来場者がじっくりと時間をかけてひとつひとつのテキスタイルに向き合っている様子が嬉しかった。トークイベントでは同じデザイナーのストールを巻いた人同士が交流していたり、いつもなら観光客も少なくやや閑散とする冬の商店街にも子供たちの賑やかな声が響き、寒さも気にならなくなるような温かさがあった気がする。

新型ウィルスが終息した時には、また以前のような都内での大規模な展示会は復活するのかもしれないけれど、このイベントが産地にもたらしたものも大きい。ウィルスの脅威はまだしばらく続きそうだし、世の中には他にもいろんな心配事はある。そもそも日本の繊維業界自体、決して先行きが明るいとは言えない。それでもこの街には、危機にも簡単にはへこたれない芯の強さが育っている気がする。第2回以降のFUJI TEXTILE WEEK実現にも期待しつつ、この街の変化をこれからも楽しんでいきたい。